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桃園第三小学校 大正13年 卒業記念写真帳

平成20年3月31日で85年の歴史を閉じた「桃園第三小学校」。
開校当時のお話と、第1回の卒業アルバムをご紹介します。
平成20年4月1日より、「桃園第三小学校」「仲町小学校」「桃丘小学校」が統合し、「桃花小学校」として地域の方に見守られながら、新たな歴史を刻んでいます。

◆開校当時の主な出来事 (桃園第三小学校沿革概要より)
・大正11年3月東京府豊玉郡桃園第三小学校として開校 
 12学級 男子338名 女子346名 合計684名
・10月 桃二小から分離開校。
・大正12年9月1日 12時50分 関東大震災起きる。2学期始業式で児童は帰宅した後だった。
 その後、児童数激増。
・大正13年4月 児童数1,291名、5年生まで2部授業。第1次増築落成し2部授業解消。
中野区立桃園第三小学校創立時
◆ 開校当時の桃園第三小学校
・環境は敷地一帯が斜面、けやきの下には小川が流れていた。
・富士山がよく見え、夜は蛙の声が聞こえた。
・宿直しても人が無く怖いくらいだった。
・秋には柿が実り、両側は山で麦畑だった。
・ムジナ、タヌキがよく出た。
・校庭は二段。
・子どもの服装は着物に袴が大半、洋服姿は1〜2人。
・履物は下駄か草履だった。

『桃三時代の思い出の一コマ』 (桃園地域ニュース 昭和59年第49号 栗原正吉さん寄稿) 中野区立桃園第三小学校が、桃三のスタートである。開校時の生徒数は約500名内外で、私たち最上級生は5年生であった。当時、校庭は上下二段で、北側方向は雑草が生い茂り、上級生は草むしりに明け暮れたのも昨今の事のように覚えている。
 裏門(現在の正門)から高円寺方面まで水田が連なり、西方には冨士の秀峰も見え、今に思うと全く夢のようである。桃園川の水も美しく、夏は休み時間に水遊びをするのが日課の一つとなって居たものである。また、雪の日には、そろって竹馬で登校して先生方を相当困らせたらしいが、先生方は、竹馬や水遊びは体育実科の一つとしておしかりもなく、まるで親子のような状態で、現在の社会では考えられないようなほのぼのとした光景であったことを、今でも頭の中に刻み込まれている。
 ただ、一つさびしいことは、六年生の時、関東大震災(大正12年)のため、秋季運動会と修学旅行がご破算になったことである。大正13年第一回卒業式を終了、質素ながらそれぞれの感慨を胸に抱き、つぎの目的にむけ小砂利をふんで元気に校門を後にしたが、これも六十余年の昔の思い出の一コマとなった。

・大正13年3月 卒業記念写真帳   (資料提供:中央3丁目栗原様)
卒業記念写真帳表紙
・教師
教師 初代校長 田村利八 先生
・一組
一組
・二組
二組
・三組
三組
卒業生は132名。


桃園春興

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